裏男とひるめしや

う、うーん、どこだろうここ。
そういえばジュースを飲んで、そのまま眠くなって――。
「きて――」
う、うん?誰です?
「起きて!」

「う、うぅぅ、おはようございます。何かすごい匂いが」
目を覚ましたのは据えたような、ひどい匂いのするくらい場所。なぜここにいるのか全くわからないけど、とにかく酔った頭では何も考えられなかった。

「おはよう……って言ってる場合じゃないから」
「うぅー、何があったのです?」

「それはこっちが聞きたいよ。ったく」
ツンツンの金髪に唇にピアスを開けた男が悪態をついている。そういえば、そういえば――。

「あーっ!!」

私はここで一気に思い出したのです。
同級生の飲み会に誘われた私、津屋崎 峰子はジュース……もといお酒をたんまり飲まされ、そのままグラングランと意識を失った。そして、ぼんやりと、ぼんやりとだけど――。

『またお持ち帰りする気? これで何人目?』
『楽勝楽勝』

「そっか、私また飲まされたんだ……」
「そういうこと、危なかったけど今はそれ以上にまずいから」
「? どういうことです?」

セミロングにメガネを掛けた同級生――美智恵さん曰く、私がジュース――もといカクテルに酔って倒れている間に飲み会はお開き、私とピアスの人、そして美智恵とあと数人は連れ添って繁華街を歩いていた。

そして、ある路地裏に差し掛かった時、全員何者かによって引っ張り込まれ、気づいたらここに居たという。

「津屋崎さん、あなたそういう系の学部でしょ、何か知らないの?」
「知らないも何も……」

今の峰子達のように人を連れ去る妖怪はたくさん居る。いわゆる『神隠し』と言われる現象だ。だが、なぜ起こったのかとなると見当もつかない。なにせここは繁華街の地下、そんな所で伝承に出てくるような事象が起こるのだろうか?

「……とりあえず助けを」
「ダメだったわ。なんでか解らないけど電波が通ってないの」
助けを呼ぼうとスマートフォンを取り出すも、何故か圏外になっていた。

「どうしよう」
「とりあえず他の人が道を探しにあちこち回ってるから、それを待ったほうが良いのかも」

峰子達があれこれ悩んでいた頃、室住 真知子が本に埋もれて眠っていた。興味のある文献が見つかり、読み漁っているうちに眠ってしまうのはよくあること。だが、時計の針はすでに丑三つ時を過ぎており、真知子の意識も落ち込む時間でもあった。

そんな中、頭に響くように、囁く声が聞こえだした。
「真知子さん、真知子さん」
「う、うぅぅ」
響く声は真知子の夢を侵食するように、強引に問いかけてきた。

「やめてくれ、起こさないでくれ」
「いいえ起こすわ、一大事なの」
「一大事? 私はせっかくの休暇を台無しにされる方がよほど一大事だが」
「峰子ちゃんが都市伝説にさらわれたの。このままだと帰ってこなくなる」

その言葉を聞いた瞬間、マチコの身体がバネのように一度跳ね、うごめくように身体を起こした。

「どういうことだ、多々良野 花蓮。説明しろ」
真知子が虚空に向かって声をかけると、空気が歪み、細目で淡白な女の姿がうっすら映る。漂う生暖かい風は、彼女がこの世のものではないことを示唆している。

「『裏男』って都市伝説があってね。女をたぶらかす男を見つけて試練を与えるの。決して越えられない試練を。そして男も女も、裏男の仲間に加えるってわけ」
花蓮が苦々しく言葉を震わす。どうやら裏男が現れ、峰子を連れ去ったのは彼女にとっても誤算だったようだ。
その話を話半分に聞きつつ、真知子は問い返す。
「七人ミサキみたいな話だな。それで、どうすれば良いんだ。越えられないのだろう?」
「いいえ、越えられる要素はある。1つだけ」
「1つだけ……まさか」
「そう、あの鬼の店。あそこなら対抗策があるの」

『鬼の店』とは、以前世話になった小道具店『ひるめしや』のことだ。鬼の酒を飲まされてガラスの彫像になった私を戻したのもそうだが、少なくともこの世ならざるものとつながりがある店。とあれば、何か裏男に対する方策もあるかもしれない。

しかし……。

「ひるめしやへまた行くのか、なんというか……」
「嫌なの? 私も嫌だけど」
「そこはほら、民族伝承を扱っているのに実在してきたというのがこう、うむ」

口を濁すが、正直なところは嬉しい半分、悲しい半分といったところだ。
実在していた、と言うのは裏を返せば『実在しないものへの憧憬』が失せてしまうからだ。とはいえ恩人、2度3度と手を貸してくれるだろうか。しかもこの夜中に。

「お前から峰子に呼びかけられないのか?」
「ダメ、切れ切れになってしまって役に立たないわ」
万事休す。仕方がないと諦め、真知子は教授から貰った大吟醸を棚から引っ張り出して荷物をまとめた
「では行くか、ひるめしやに」

午前3時。女性がひるめしやのシャッターを叩く音が響き、音を聞いた女性が、眠い目をこすりながらシャッターを少しあげた
「貴方は……室住さん」
「こんな夜分遅くにすみません。あの子がまたなんか変なのに巻き込まれたようで」

立ち話も何だと、中に入れられる真知子と花蓮。
店舗の奥は寝泊まりができるスペースになっていて、2人はそこに招かれた。

「つまり、幽霊の言葉曰く『裏男』という怪異が峰子さんを連れ去ったと」
「そういうことです……あとコレ、よかったらお礼の代わりに」
「そんな気を使わなくても」

こんな話、信じてもらえるかと言えば、まず無理だろう。酒に酔った虚言にしか見えない。
しかし、女性――蛭目 玲子は虚空を睨むように見た後、真知子に告げた

「それより真知子さん」
「はい」
「その幽霊、早く取り除いたほうが良いわ」
そういい、虚空を見つめる。まるで嫌な女と言わんばかりに、空気が少し淀んだ気がした。
「わかっているけど、まぁ長い付き合いなので……」

バツが悪そうに真知子が答え、玲子はどこか心配そうに見る。何かしらの付き合いがあるようだが、亡者に感応されていいことなど1つもないからだ。

「ただ、裏男の話は嘘じゃないわ。ここ最近繁華街で妙な気が漂っていてね……どうやらそいつみたいね。対処法も探せばあるかも。ちょっと探してみるわね」

そういい、玲子は席を外す。
玲子が席を外している間に、真知子は気になっていたことを口にした。

「しかし、だ。なぜお前はこうも峰子に執心してるんだ」
「……」
花蓮は質問に無言で返す。

「花蓮?」
「ねぇ、真知子さん。貴方って鈍感って言われない?」
花蓮の問に『ない』と即答すると、生暖かい空気がため息のように吹きかかってきた。

「わかった。貴方の鈍感さに免じて、種明かしをするわ。私はあんな子に執心してるんじゃなくて、貴方に振り向いてほしかったの」

花蓮は空気を震わせ、想いを伝えるように答えた。
生前から真知子を思っていた花蓮は、何度もアタックを掛けてきたがことごとく失敗した。当然だ、真知子に同性愛のケがないからだ。
しかし、それでも振り向いてほしい、愛を受け取って欲しい。そのために花蓮は一計を講じた。彼女の後輩である峰子をダシにし、真知子に振り向いてもらおうというものだった。

「結果として私は死に、こうして亡霊としてさまよい続けているけど……」
「それで、峰子が死んだら振り向いてくれるだろうと思ったのか」
『当時はね』とだけ淀んだ空気は返す。
「でもね、振り向いてほしいという念だけで動いていると、峰子ちゃんを殺す必要があるかわからなくなってくるの。殺さずにはいられない。そこまで堕ちてはないけどね、まだ」

真知子は黙って花蓮の話を聞き、そして口を開く。
「私は仮に峰子が死んで悲しみはする。だけど悲しみのあまりお前に擦り寄るなんてのは、あんたの都合でしかない。それに――もうお前のアクションに答えている時点で、振り向いているんじゃない?」
「……」
真知子の言葉に、ざわついていた空気が静まる。
「いいえ、もっとほしい、いつも見てほしい。身も心も一つになりたいの。少なくとも、今はね」
「わかった。良い除霊師を探しておこう」

そういいさっと離れる真知子。はたから見ればこれほど滑稽な一人芝居もないが、ここでなら信用してもらえるかもしれない。

ちょうど戻ってきた玲子は、本を片手にじっと真知子を見ていた
「なんというか、それなりに付き合いがあったのね」
「不本意ながら。そして改めてお願いするわ。裏男退治を手伝って欲しい」
「えぇ、でも肩入れしすぎると本当に身も心も乗っ取られてしまうからね――と」

そう言い、玲子は本を片手に話し始めた。
「裏男は割とポピュラーな怪異みたい。吉原などの繁華街に現れては花魁や客を襲う辻切りがいつの間にか現代にまでつながっていった――といったところかしら。したがって、対処法も2つとシンプル」
「その方法とは?」
「1つは試練を受ける人をしっかり迎えること。できれば朝方が良いわね。朝日は妖気を発散してくれるから」
「そしてもう1つは……?」
「そもそも引っかかるような男と付き合わないこと。かしら。まぁ難しいわ、現代だとね」

結局待つしか無い。しかも男が原因といわれ、真知子は頭を押さえるのだった。

―――
――

「くそっ! 誰も戻ってきやしねえ」
真知子がひるめしやでどうするべきか頭を捻っている頃、下水道では男が激昂していた。
近くでは峰子と美智恵は、逃げようにも逃げられず、ただただ震えていた。

「どうしよう、まさかここでずっとここで暮らすの?」
「そ、そんなわけ無いわ。きっと誰かが助けに来てくれるはず――」

それでもスマートフォンの電波は通らず、助けも呼べない。男はさっきからカリカリしっぱなしだ。
「それっぽい女が食えるって言ってきたのにハズレばっかだし、ちょろい女子でもいいやと思ったらこのざまだ」

「ちょっと、それどういう意味?」
美智恵が言い返す一方、峰子の顔が青ざめる。
「そのままの意味に決まってるだろ、ジュースって騙してカクテルにすり替えたり――」
「あんたね、やっていいことと悪いことが」
「やめてください! 今そんなこと言い争ってる場合じゃ――ない、です」

峰子は声を張り上げるように2人の争いを止める。
そう、峰子は過去にも酒を飲まされ、連れ込まれた経験があるのだ。
目覚めたのは朝方、ベッドの中で――最悪の事態こそ免れたものの、以来酒には手を付けまいとしていた。
なのに、この有様。峰子の頭のなかでいろんなものが周りだし、ぐったりとし始めた。

「う、うぅぅ……」
「あんた、絶対に許さないから」
「許さないって何ができるんだ?俺はそこらのサークルよりコネがあるんだ。手なんか出せないっての――」

男が調子づいて言い返した時、悲鳴のような声があたりに響いた。

「なんだ? この声」
「誰か助けに来た……って感じじゃないよね」

そういい、2人が視線を動かし、同時に目についたものがあった。

『オォォォ』

洞窟の床を、そして側面、天井へと侵食していく、黒いモヤのような物体。それは徐々に足を生やし、人間の呻きのような声を上げながら、美智恵たちのいる方向に向かってきた。

「う、うわあああ!?」
男は悲鳴を上げ、下水道の奥へと逃げていく。
「ちょっと、私たちは置き去り!?」
「うるせえ! お前らなんて化物に食われてしまえ!」
「…………」

美智恵は絶望とともに、心底嫌気が差したような目をし、しばし峰子のもとへ寄り添う。
「あの」
「大丈夫、何かの見間違え……のはず」
「いや、そうじゃなくて……うえ」
「上?」

そう言い、美智恵は真上を見る。そこにはマンホールの出口があり、よく見ると峰子の寄り添っている壁には、外につながるはしごがかかっていた。

「(どういうこと、さっきまでこんなものなかったはずなのに……)」
しかし、このまま諦めて黒い怪物に飲み込まれるのはゴメンだ。美智恵は大きく息を吐き、気を入れる。
「ちょっと苦しいかもだけど、吐かないでよね!」
そういい、美智恵は峰子をおぶり、階段に手をかける。古く、ギシギシと言うものの壊れる様子はない。

遠くから『ギャアアア!』という男の声が聞こえる。あいつだろうか。今はかまっていられない。
1段、1段と上がっていき、黒い怪物から逃れるように歩を進めていく。

「峰子さん、ちょっと階段握ってて」
峰子は無言のまま階段をしっかり握り、落ちないようにする。肩を上げ、マンホールの蓋に手を添えて少しずつ動かしていく。

うごめく声は、足元で何度も声を上げながら、近寄っていく。それを間近で感じていたのは、峰子だった
「ひ、ひいぃぃ……」
恐怖のあまり声を上げる峰子。
「もうちょっとだから!いま、この……!」

重たいマンホールのふたは女性の手には余る。しかし、何とか跳ね上げ、新鮮な外気が吹き込む。

『!!!』
黒い靄のような怪物が風に吹かれて一瞬怯む。怯んだが、また蠢き始める。まるで2人を取って食おうとするかのように。

「逃げるよ! 肩に捕まって」
「は、はい、ありがとうです……」
「こちらこそ」

美智恵は脱出につながるヒントをくれた礼を峰子に告げ、路地裏から広いところへ出ようと走り出す。
『マテ、マテェェェ』
後を追うように、黒い霧も駆け出す。その背後には女性の靴や時計、服などを撒き散らしながら……。

「真知子さん、来たわよ」
「来たって、裏男が?」
「えぇ、待ち人よ」

真知子がひるめしやに来て、すでに3時間ぐらいか。それまで裏男が来るのを心配そうに待っていた2人だったが、ついに動きがあったようだ。内心ホッとしつつも、ここから気が抜けない。

「伝聞どおりだと、裏男は光や風に弱い。懐中電灯でもいいから思いっきり照らすだけでも効果があると思うわ」
「思う……えぇ、コレばかりは信じる他ないわね」

真知子は玲子に『裏男が来た時は身を張って止める』と志願していた。玲子も一度は止めたが、頑なな決意に、できることを教えた。

繰り返すが、真知子は古い話こそ把握しているが都市伝説などには疎い。だからこそ、今頼れるのは玲子と自分自身だけ。後輩を守るために多少のむちゃは覚悟の上だ。

「あと応援も呼んでおいたわ。ガラの悪い男なんかメじゃない。ずっといい男よ」
「ありがとうございます」

しかし一体誰を呼んだのだろうか。真知子は少し気になりながらも、古ぼけた懐中電灯のスイッチを入れ、裏口から外の様子を伺う。

外はほのかに明るくなり始め、人もまばら。だが、だからこそ、それは異様さを増した。
おんぶしている女性が、足と口の生えた恐ろしい怪物に追いかけられている様が。

「玲子さん! もう来てる!」
慌てて裏口に戻り、声をかける。

「貴方は彼女らを迎え入れて、私も表のシャッターをあげるから
真知子は無言で戻り、光源を女性の方へと照らす。

『アァァ! ジャマスルナァ!!』
黒い物体は一瞬怯み、なおも進む。光が弱いのか、歩調は鈍いものの距離を詰めつつあった。
「誰か知らないけど走って! このままじゃ追いつかれる!」
声をかけると女性はさらにスピードをあげようとする――が、すでに疲れ切っているのかこれ以上スピードは上がらない。

その時だった。ひるめしやのシャッターが少しだけ、上がった。

「ナイスタイミング! コレなら裏口に誘導しなくても良さそうね」
真知子は思わず近づき、さらに懐中電灯の光を当てる。
「なんだか知らないけど、わたしだって学者の端くれ。このぐらいなら……!」
少しずつ動きが鈍っていき、動きも地を踏むように荒々しくなる。

女性が通り過ぎ、背中に峰子の姿を確認すると、真知子にも安堵の表情が浮かぶ。

「あのシャッターの中に駆け込みなさい」
「はい……!」

美智恵は最後の力を振り絞り、シャッターの中へと身を投げた。
「真くん、今よ!」
「は、はい!」
玲子が用意した毛布に飛び込んだ2人を見計らい、シャッターを閉める。
追いかけていた女性が消え、裏男は硬直するようにその場で動きを止める。

『ク、クソォ。オンナ、クイタカッタ……』

身勝手な言葉が明けの空に残響し、裏男は透明になって消え去った。

「…………」
「今回ばかりは不可抗力、と言いたいけど。少し休ませたほうが良さそうね」
真知子は美智恵から事情を聞き、怒らないようにした。
幸い美智恵も同じ大学の運動系サークルと判明し、彼女もいきいきと事情を話してくれた。

男や他の面々はと言うと一部は自力で脱出したものも居たが、主催の男――峰子をハメようとした男は行方不明。色んな手続きはこれから始まるだろう。

「とにかく、ありがとうございます。まさかこんなことになるとは思って無くて……」
「いいえ、お互い様よ。私も面白い体験ができたわ」
「そのために、朝っぱらから呼び出しくらった僕の気にもなってくださいよ……」
功労者である青年――真太郎はうなだれながら応える。なるほど、この青年は酒癖も荒くはなさそうだし、玲子さんが入れ込むのも納得の好青年だ。

「なにはともあれ、コレで峰子も助かったし一安心ね、花蓮」
花蓮は、答えない。苛立った空気を撒き散らし、しかし、徐々に和らいていく。
「……花蓮?」
「えぇ、一安心ね。私に対する評価も変わったかしら」
「少しはな。少し」

『ならよし』と花蓮は気分を変える。どうやら玲子の発言に感づいている部分があったのだろうか。
多少の不安を残しながらも、真知子は今日の予定は全部なしにしようと、心の中で決意するのだった。

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