ささげびと

 

裏寂れた村の前に一人の少女が立っていた。
 背にはバックパック、軽装にハンチング帽と山登りを彷彿させる格好の少女は、A4サイズの紙束を片手に当たりをしきりに確認していた。
「道化人形物語の舞台がここだとしたら、何かすごい手がかりがありそうです!」
 彼女、津屋崎峰子(つやざき・みねこ)は考古学を嗜んでいる。その中でも日本の隠された歴史を探求する『民族伝承学』が彼女の得意とする分野だ。
 学問といえば聞こえはいいのだが、何ぶん考古学の中でも規模の小ささは否めない。それでも歴史とアヤカシの魅力に惹かれて足を踏み込むものが出てくるのがこの分野の特徴でもある。
 峰子もまたその一人で、背丈は小さいがこれでも大学生だ。

「それにしても結構に寂れた村ですねぇ。旅館があればいいですけど」
 そう呟きながら歩いていると、奥に鳥居が見える。導かれるままに鳥居をくぐって境内に入ると、本殿の周辺にはいくつもの人形が祀られていた。
「おぉ、人形供養の神社ですか! もしかすると伝承と何か関係するかもしれません」
 興味のままに峰子が神社を眺めていると、社務所から白い布を顔にかけた女性が姿を表す。背丈は峰子よりも高く、大人と子供の身長差。顔は隠れているものの、年はそんなに離れていないように感じ取れた。
「あら、可愛らしい子。よそから来たのね」
「はい、この村の歴史を知りたくて」
 子ども扱いされて少々腹は立つものの、村人の印象を悪くすると聞ける話も聞けなくなる。愛想を崩さず、峰子は話を続ける。
「ここの神社の方ですか?」
「えぇ。ここは移し人形を保管して『送り火の儀』に備えるの」
「送り火の儀……? 街に売ったりしないのですか?」
「とんでもない、移し人形は厄が沢山ついてるの。この人形は全部燃やして供養するの」
 そのような話だったかと、首を傾げる峰子。
 手に入れた資料『道化人形物語』では、村人が子供を人形に変えて街に売ることで生計を立てているという内容なだけに、女性の話とどこか食い違いをみせる。
 とは言え、もらった伝承を口にしていいものかにも迷う。しばらく首を傾げながら峰子は言葉に戸惑う。
 しばし流れる沈黙。それを破ったのは女性の方だった。
「……そうだ、儀式で使うとても大切な人形があるの」
「大切な人形ですか!?」
「そう、『捧げ人形』という神様に近い人形よ。奥にしまっているけど、見てみない?」
「ハイ、見てみたいです!」
 大切な人形、”神様”とも言える人形。その言葉に峰子が条件反射で食いつく。もしかしたら食い違う伝承をつなぐ鍵になるかもしれない。それに、大切な物だけに伝承を抜きにしても見てみたいのが彼女の本心でもあった。
「では、失礼」
 峰子の言葉に応じるように女性が手を伸ばし、峰子の首筋に触れる。
「え、ちょっと。く、苦しい」
 そのまま頸動脈に力を加えられ、峰子の意識は見る間に濁っていく。
「(これは、またやらかしてしまった、ような……)」
 無意識のうちに体が崩れ、ゆっくりと峰子の意識は暗く沈んでいった。

 女性は峰子を背負い、神社の奥へと入っていく。
 顔は隠れて表情は見えない。だが、確かに彼女の横顔には邪な笑みが浮かんでいた。

 峰子が失踪してから4日後。
 某大学の研究室では、女性が椅子に腰掛けながらひどく苛立っていた。
「あいつ、2日以上かかるなら連絡を入れろと言ったはずなのに」
 乱れた長い髪に厚めのメガネを掛けた女性、室住真知子(むろずみ・まちこ)は憤りながらも『またか』と内心考えていた。
 彼女の後輩であり、門下生と言える峰子は妙な文献を拾ってきては自ら検証に当たるという命知らずな学生だ。過去にも似た目的を持つ人物に利用されたり、巻き込まれてはひどい目に合わされたこともある。
「お仕置きはさておいて、また警察の厄介か。目的地はある程度絞れてるけど、今回は決め手がないんだよな」
 机には大量の書物が除けられ、書き込みが施された白地図が占拠している。峰子の足取りから山梨を含めた関東圏内似まで絞り込めたものの、山奥に入ったのか連絡がつかなくなって以降の足取りは全くわからない。
「もう少し情報が欲しいところだけどねぇ」
「情報ねぇ。心当たり、知ってるわよ?」
「やかましい、あんたと付き合っている気分じゃ――」
 奇妙な呼びかけに、真知子が声をした方向を向く。
 そこに立っているのは白い髪に細身の女性、真知子はそのまましばらく凝視して指を向ける。
「あ、あんた。何でここにいる」
「あらあら震えちゃって。山から戻ってきたのよ」
「震えてなんて……いや震えるさ、まさか昼間に本物の幽霊が現れちゃね」
「まぁ失礼。でも許してあげる。津屋崎さんのピンチだからね」
「あぁ、今回ばかりはね。で、恩を売ってどうするつもりさ、多々良野花蓮(たたらの・かれん)」
 名を呼ばれた女性――花蓮は、ミドルヒールを2度鳴らして応じる。
「恩でもないわ。けど津屋崎さん、このままだと火炙りにされて殺されちゃうわよ? 彼女、オカルト畑に踏み込んじゃったみたい」
「そういえば人形といえばそっちもあったな。サークルに向かってもいいか?」
 真知子の言葉に花蓮は首を横に振り、書籍を渡す。
「メモもいくつか挟んでるわ、これで我慢して」
「わかった。ついでだが、あと何日だ」
 真知子の質問に花蓮はしばし沈黙し、『何故そこまで思うの?』とだけ返す。
「図々しいかもしれないが、私はアイツの事を一目置いている。教授と生徒のつながりを超えたものがあるかも知れないが、それ以上に……まぁ、楽しいからな」
 やや照れくさそうに語る。確かに大学に入った頃、本の虫になって書籍を集めまわっていた頃に比べると、大分アクティブにもなったし、楽しくも感じる。だからこそ目が離せないのだろう。
「……一週間って所かしら。後は津屋崎さん次第ね」
 花蓮は真知子の言葉を聞き、柔らかな笑みを浮かべる。どのようなことを思っていたかまでは触れるつもりもないが察することはできる。
「いい加減お前の百合趣味にはうんざりしてきたのだが」
「そう言って、思う節が」
「無い!」
 一喝する真知子。
「あらあら。それじゃぁ、文献調べ終わったら呼んでね
 茶化すように告げて、花蓮は部屋を出る。
 真知子はサトリにでも会ったかのような複雑な顔を浮かべていたが、しばらくして手渡された書籍の表紙をめくり、目を通し始めた。

 とある地方に『ささげ人』と呼ばれる風習がある。
 具体的な所在はわからないが、古くは山梨を中心に無病息災を願って行われていたという。
 問題は儀式の手法だった。呪術を用いて人間を本物の人形に変え、数日間”呪言(じゅごん)”を唱えながら自分の役割を教えこむ。
 その中で人形に変えられた人間は、『自分は元から捧げ人形だ』と思いこむようになる。この手法は洗脳やマインドコントロールに通じるものがある。
 そして数日後、捧げ人形は『移し人形』と呼ばれる厄の付いた古い人形と一緒に火にかけられ、供養を行う。当然火にかけられた人形は灰や炭となってしまう。
 この風習は現代にまで息づくこと無く廃れていったが、簡略化された風習が人形供養として現在に残っているのではないかと推測される。
 それでも、今も『ささげ人』の風習は人知れず受け継がれているらしい。

「……もしこの伝承が本当だとしたら、かなり状況としてはまずいな。今から準備するか」
 幸い目星に当てはまる村がいくつかあり、文献のお陰で大きく絞ることができた。花蓮の言葉が正しければあと1週間、場合によってはもっと短いだろう。
 覚悟を見越したように『いつでも待ってるわ』と声をかける花蓮に苛立ちながらも、真知子は大急ぎで旅の準備を始めた。

 2人が山梨に到着したのは、その日の夜だった。

 ――
 ―

 落とされていた意識が、奇妙な音とともに引き戻されていく。
 誰かが語っている、歌っている。ささやいている。
 目を開けようとしたが、うまく開けられない。体がどこか不自由でだが、意識だけはゆっくりと戻ってくる。
 『オクレ、ミチビケ、ニエトナレ』
 頭の中に響く声に首を振りたいが、それすらも出来ない。
「一体何、が……あ、あぁぁ!?」
 視界が広がっていく、広がり――目の前の鏡に映しだされたのは1体の日本人形。
 白い肌の口元と目元には紅が引かれ、紫色の着物を着せられている。目は月明かりに照らされて活き活きとしているが、まばたきひとつしない不気味さが峰子を恐れさせる。
「ただの人形じゃ、無いですよね?」
 あたりを見回したくても向くことが出来ない。動こうと考えると人形の体がガタつく所を見ると、まだ完全に人形ではないことが見て取れる。

「呪いをやめて。どう、捧げ人形になった気分は。と言っても一方通行よね」
 凛々しい顔立ちをした黒い長髪。”巴御前”に例えることもできる若々しい女性の声は、峰子の意識を奪った主だった。
「一方通行じゃないです! ちゃんと聞こえてますから戻してください!」
「いや、あなたの声が私にはまだ聞こえないの。怒っている様子はわかるけど、それもあと数日すれば怒りも無くなる。むしろ、あなたなら人形をあの世に導く使命感に打ち震えてくれるはず。そうすれば村人も喜んでくれる」
「やだ、燃やされるのヤダです!」
 捧げ人形にされたということは、近いうちに火にくべられ、燃やされることを意味する。恐怖に着飾った人形が激しく動き、周囲の人形を揺らし、倒していく。
 しかし、声を上げていた村人は動じない。全員この人形が峰子だということは百も承知である。
「嬢ちゃん、世の中にはクビ突っ込んじゃいけねぇものもあるんだよ」
「そうじゃ、あんた何しに来たかわからないけど、巫女様の選んだ人形だからおとなしく受け入れてな」
 人形の震えが収まっていく。やはり目論見がバレてしまったのだろうか。
「ともかく、諦めなさい。この村にはあなたの味方はもう居ない」
 呪言を最初から上げ直すように指示を入れる巫女。男の声が頭に響き、考えが塗りつぶされていく。
「絶対、絶対待ってやるです。諦めません!」

 ――そんなやりとりが、もう遠くに思えた。
 時間にして数日だけかもしれない。しかし常に入れ替わりで呪言を聞き、人形となった自分の姿を見せつけられる。
 あまりに時間は長く、洗脳じみた行為は峰子の心を見る間にすり潰していき、新たな自意識を植え付けていく。
「わたしは峰子、つやざき、みねこ」
『否、汝は送り人形なり。厄を持つ人形を先導し、あの世へ導く人形なり』
『汝の身、人にあらず。心もまた人にあらず。使命を全うせよ』
 弱々しく聞こえぬ声をつぶやき、自我を保とうとするも、呪言はそれを否定する。
「私は、私は……」
 巫女が、声をかけている。
「あなたを選んだ理由は2つ。1つは偶然この村に来たから、目的までは知らないけどね」
「そしてもう一つ、あなたが『崇高な使命』を掲げて動いていそうな気がしたの。この村でも捧げ人を名乗り出る人は少なくなってね、あと数年もすれば条件に合う人がいなくなって潰えてしまう」
 だからこそ大々的にお祭りを行い、人を集めようという目論見である。
「既に周囲の村にも知らせを出しておいたわ。興味をもった人が足を運んでくれれば、捧げ人の風習は潰えずに済むわ」
 巫女の言葉は使命感に満ち溢れていた。やり方こそ乱暴だが、過疎の村で伝承を復興させる――聞こえはいいかもしれないが、やっていることはあまりに背徳的な人身御供に過ぎない。
 それを承知でやっているとすれば、もはや狂気の所業としか考えられない。
「知らせ……もしかしたら真知子先輩が来てくれるかも!」
 ふと思いだす先輩の顔。もし知らせを感づいたなら、真知子が飛んでくるかもしれない。それにすがろうと考えた。
 だが、巫女は峰子の考えを読むかのように否定する。
「村に行く交通手段は祭りの間は止めるようになってるの。街から向かっても儀式の日までには間に合わない」
 カタ、と人形が落胆するかのように動く。
「近いうちに村の人もあなたを見に来るわ。あなたはあなたの成すべきことをしなさい」

 成すべきこと、それは捧げ人形としての使命を全うすること。
 それを自覚しながらも、人形に変えられた峰子は必死に抵抗を続けた。

 ――
 ―
「この村でもないか、もう時間が迫っているな」
「バスも止められるなんてねぇ、どうしてなのかしら」
 山中でも動きやすいように身支度を済ませ、山に入った2人は写真家を装って周辺の村を転々としていた。オカルト話を探りに来て、いい顔をする人間は居ない。二人ともにそれを承知していからだ。
 なにより今回の目的は伝承の事実を確かめることではなく、峰子の救出。それでも残った日時はあと3日と心もとなく、さらに頼みの綱だったバスの運行も何故か止まってしまった。
 そうこうしている内に日は沈み、宛もなく途方に暮れていた。
「これだから……さて、ここから近い村はあと3つ4つ」
「弱ったわねぇ。何かヒントがあればいいのに」
 悩みながら当たりを散策する2人。山々の緑は美しく、日本の自然が手付かずのまま残っている。
 すると、鳥の鳴き声にまじって人の声も聞こえきた。
「なにか聞こえたよね」
「えぇ、聞こえた。なにかしら?」
 2人は声の方にそっと近づき、草陰に隠れて聞き耳を立てる。ちらと見る限りでは老人2人、ここの村人だろう。
「”ひとかた”で祭りっていつぶりかねぇ」「まぁ顔だそう、飯も出るしべっぴんな人形も仕上がったのだろう」
 細かな声をしっかり聞き、頭に叩き込む。メモを取る音すら惜しい。
「ひとかた、人型。なんだかそれっぽいね花蓮。……花蓮?」
 反応がない。何事かと声をかけようとするも隣に居ない。真知子が顔を上げると、花蓮は村人の方にムラムラと向かっているではないか。
「ちょっと花蓮! 何やって――」
「ん、誰じゃ!」
 真知子の声に村人の片方が声を荒げる。
「あぁ、えっと。山に登ったもののバスが停まっちゃってどうしたらと」
 赤面しながら取り繕う真知子。
「バスはこの期間動かないよ、祭りだからね。まぁ、よそもんにゃ関係ない。山を降りてけば1日すりゃ大きな街につくよ」
 村人はそっけなく言葉を返し、そそくさと2人から離れる。やはり”祭り”が近くのムラで行うので間違いはないのだが……花蓮の行動に真知子はおかしさを感じ、肩をつかむ。
「あんた、後から話をしようか」
「まぁまぁ、なんだかいい情報が手に入ったのだからいいじゃない」
「いいけどなんだか気になるのよね……で、場所だけど多分ここ」
 地図を指さしたのは、『日野方村』と書かれている場所。周辺の村の中では比較的大きいものの、例外なく高齢化が進んでいる過疎の村だ。
「ここを外したらもう峰子を諦めることも考える」
 明日出発してここから歩いて、夕方には辿り着く。
 他に目星をつけている村と違って若干離れており、外せば捜索する余裕はなくなる。その時が最後だ。
「じゃぁ、今から出発する?」
「そうしたいが、もうクタクタだ。創作に支障をきたしたくないし、明日に回そう」
「あらあら」
 ぞんざいなのかそうでないのか。花蓮は真知子を見つめるのだった。

 ――
 ー
 目の前の鏡が取り除かれると、多くの人が集まり、自分を見ようと賑わっていた。
 手を合わせるもの。覗こうと前に出ては止められるもの。老若男女問わずに峰子――いや、捧げ人形を見ている。
「どう? 神様として拝まれる気分は」
 巫女が声をかける。彼女の目はどこか濁っていて、神とのつながりを感じているかのような陶酔感すら言葉の中から漂う
「神様?」
「そう、捧げ人形は神様の使いなの」
「神様の、使い……」
「そう、火は古来より神聖なものとして扱われていたの。だからこそ”ささげびと”は火の門を経て、厄を持った人形を神様のもとにお返しするの」
「神様の、元へ……あれ? なにか私が思っていたものと……なんだっけ、神様のもとへ、お使いに」
 初めて明かされる”ささげびと”という言葉。峰子の感じていた文献とはまったく話に困惑したかったが、峰子の考えは呪言によって流されていく。
「そう、その為には送り火の中に入らないといけない。送り人形はそのためにあるの。思い出してみて、自分の本当の姿を」
「本当の姿、本当の……」
 峰子は頭を駆け巡る呪言の中、自分の姿を探っていく。しかしいくら探っても、出てくるのは見慣た紫の着物を着た人形の姿。
 度重なる呪言と巫女の教え。そして人々の期待を受けた今の彼女は、1週間のうちに自分の姿さえ思い出せなくなっていた。
「紫の着物を着た、この姿?」
「そう、それがあなたの姿。あなたは厄を天に運ぶために作り出された人形」
「人形……私は、捧げ人形」
『そう、その意気』と小声で告げ、巫女は捧げ人形の顔を触って境内に歩み出る。
 夜風に晒されっぱなしだったせいか冷たいはずの人形だが、ほのかに内側から暖かさが登っている。それこそが人間の魂を宿している何よりの証拠だが、人形に確かめる手段はない。

「皆様、明日にはここにおられます”ささげ様”が、送り火の門をくぐりて天にお帰りになられます。皆様は手元に用意した祝詞(のりと)をご覧になり、男衆に続いて斉唱の程をお願い申し上げます」
 参拝客の手元にはビラサイズの紙に細かく書かれた言葉がつづられている。巫女達が常々歌っている呪言を歌いやすくしたものだ。

 巫女が神楽鈴を取り出し、1度2度と鳴らす。それに合わせ、男衆が呪言をあげ、村人が声を合わせていく。
 場が一つになり呪言に合わせて巫女が神楽を舞う。
 場圧と圧倒的な呪いの言葉が峰子の思考を激しく打ち付ける。
「私は、私は人形」
 崩れた思考をすりつぶし、希望を覆い隠していく。
「この村で作られて、明日神様のもとに送られる、人形」
 そして、生気を逸したことで、人間だった人形から、神に送る人形へと変わっていく。
『もう、何もカンジナイ。大切にサレテイルだけで、うれしいデス』

 峰子は捧げ人形として自ら受け入れ、その時を待つしかない状況にまで追い詰められていた。
 大勢の見物客に見守られるたびに、自分の美しさと周囲を引きつける力に酔いしれ、あとは火の中に入るのを待つだけとなった。

 だが、一体となる見物客に混じって真知子と花蓮の姿もあった。
 峰子当人は気付かなかったが、確かに2人はこの村に潜入することが出来たのだ。

 宿の一室を借りた2人は、旅の疲れを癒やしながら祭りの賑わいを耳に留めていた。
 今までたどった村と違い騒々しく、活気に満ち溢れている。この祭事が人身御供と知っている人間はどれほど居るのだろうか。
「とんでもない村……いや、地域ね。土着信仰に踏み込むと面倒だから避けてたのよ」
「そんな村でも受け入れてくれてよかったわねぇ」
「人寄せで戸口を開けてるのでしょ。それにしても何とも中途半端なこと」
 本当に人を集めたければ交通機関を充実させるべきだが、真逆なことをしているのは村の事情もあるのだろう。
 いずれにしても真知子はあの祝詞に参加するつもりはない。座布団を並べて寝転がりつつブツクサ文句をいう真知子に花蓮は話を切り出す。
「で、人形は本物?」
「確証は持てないけど、髪型といい顔つきといい嫌なほど似てたわ」
「じゃぁ、早速夜中にやっちゃおうか?」
「そうね、寝ずの番もしてるでしょうし……厄介すぎるわ」
「うふふ。それなら私に任せて、室住さんは寝転がりながら天井のシミを数えていればいいわよ」
「いかがわしい言い方をするな! とあれ、今のうちに少し寝ておくか」
 真知子はふて寝するかのように横になり、夜中の決行まで体を休めることにした。
 その横で、花蓮はふふりと笑い、準備していた荷物の封を解く。
「さて、私も少し、やんちゃしてみようかしら?」
 彼女は中から瓶と服を手にし、密かに準備を始めた。

 夜が更け、神社を除いてすべての明かりが消えた村は、不気味なほどに静まり返ってきた。
「今日はまた寒いなぁ、カンさん」
 深夜の神社には袴と法被を身につけた男衆が二人、寝ずの番で人形を警護している。すでに数回交代しており、この見張りが終われば眠ることができる。
「さいですな甚六さん。明日で祭りも最後じゃ、ささげ様を無事お送りしたいの」
「全くじゃ。……のぅカンさん」
「何じゃ甚六さん」
「あそこ、人がおらんか」
 甚六と呼ばれる老人が指をさした方向、木の下に女性の姿がうっすら見える。
 髪を振り乱し、白い花の付いた着物を着た女性が、招くように手を動かす。
「お、おるな。オーイ、ここは入っちゃいかん、はよう立ち退きなされ」
 すると、女性は手を招くのを止め、『ゆきたくない、逝きたくないのじゃ』とささやき出す。
「こ、こりゃささげ様の霊か何かか?」
「わからん、カンさんは巫女様を起こして聞いてみておくれ。わしは近づいてみる」
 近くに立てかけていたほうきを手にし、ゆっくりと近づく甚六。距離をゆっくりと詰め、互いの手が届く距離にまで近づいていく。
「さ、ささげ様の霊で、ふぐっ!?」
 先に切り出した甚六の口元を、女性の洋服が覆う。
「むぐっ、ぐ……」
 甚六はへなへなとその場に倒れ、カンと呼ばれた男性は青ざめる。
「あぁぁ、こりゃまずい。巫女様、巫女さまー!」
 大慌てで社務所へ入っていったカン、それと同時にさらにもう一人の女性が神社の境内に足を踏み込む。寝ぐせが残ったままの真知子だった。

「先に行くなら先に言いなさいよ」
「いいから、巫女様が来たら大変よ?あなたも人形に――」
「されない、されませんから。とにかく急ごう」
 幽霊に扮した花蓮によって眠らされた老人を一瞥し、真知子が本殿に通じる古めかしい格子戸に手をかける。
 鍵のかかってない観音開きの扉が開き、眼前には大量の人形が真知子を凝視していた。
 まるで『立ち去れ』と言わんばかりの禍々しい気配を無視し、真知子は峰子によく似た捧げ人形を台座から下ろす。
 まるで生気を感じさせなかった人形。しかし、見覚えのある童顔や、ツインテールの髪型は間違いなく峰子そっくりだった。
『ア、ア、ァ……来てくれた、デス』
「何やったかしらないが、あとでじっくり聞かせてもらうぞ」
『ゴメンナサイ、本当にゴメンナサイ』
 本当に峰子かどうかの確証はないが、ハズレだったら形見にしておくだけのことだ。
 捧げ人形の着物を剥がし、近くの人形に着せて台座に載せて身代わりにする。騙せるとは思っていないが、時間を稼ぐことができたら御の字だ。
 服を脱がされた瞬間、捧げ人形が恥ずかしさを訴えるようにかすかに動気を見せる。
「恥ずかしいか? だがな、ここまで散々迷惑かけてきたんだ。しばらく耐えてろ」
『ヒィィ、真知子先輩が殺気立ってマス』
 重々しく人形を抱きかかえ、本殿を出る。まだ慌ただしくはないものの、早く村から出たほうがいい。
「私も持つわ。それじゃぁ、山を下りましょう」
「もう勘弁してほしい」
 逃げられたらしばらく休暇を取ろう。そう考えながら2人人形を抱えて街を抜け、夜の山を駆け下りた。

 しばらくして巫女が見たのは、開きっぱなしの格子戸と、捧げ人形の服を着た別物の人形だった。
「それで、ささげ様に魂を吸われたと?」
「はぁ、白い乱れ髪の女性に口元を塞がれたら、そのまま力が抜けて」
「あのような真似は霊の仕業ですじゃ。おぉ恐ろしい、巫女様の力がなければ甚六さんはお陀仏じゃったよ」
「ありがたいこってす」
 手を合わせる2人を軽く制止し、しばし考える。
「……仕方ありません。禊は後日払うとして、儀式だけでも行いましょう」
「しかし『送り火の儀』は捧げ人形がないと」
「今から私が儀式を行います。呪言、覚えてますよね?」
 巫女は諦めた顔で2人に告げ、本殿に入って身代わりとなった人形の服を着つけ直す。老人もまた、言われるがままに懐に入れた紙を取り出し、儀式で使う呪言を読みなおす。神事を執り行う巫女には逆らえないのだ。
「(きっと神聖な儀式で人集めを行おうとした報いでしょう。でも、また期が訪れた時は必ず果たします)」
 巫女の目には狂信的な決意が燃え上がる。この執念こそが、人身御供の奇祭を今に伝えているのかもしれない。

 2人(と1体)を迎えたのは、夜明けの街並みだった。
 空が白み始め、高層ビルが点々と立ち並ぶ住宅街に朝が来る。
 ようやく山道から抜けだした安堵に、真知子は力なく道路に座り込んだ。
「電波も通る、追っ手も多分来ない……勝った」

 それからのことはよく覚えていない。ただ、2つだけ確かなことが言えた。
 1つは、無事に研究室に帰り、人形と共に身を投げ出して眠ったこと。
 そして財布を確認すると、5桁にのぼるタクシー代がクレジットカードで精算されていた現実。
 真知子は現実を直視し、再び卒倒した。

 そして1か月後、峰子はコスプレサークルに突き出されていた。
「本当にごめんなさい! だからこの格好は許して!!」
「ダメだ、ちょうどいい機会だから人形らしくお披露目されているんだな」
「もう、もう人形じゃないですよぅ!」
 ふりふりのアリス風ドレスを着せられた峰子に、室内は歓声に包まれる。
 峰子は訳あってどこのサークルにも所属していないが、子供っぽさから評判の高い学生ではあった。本来なら教授があえて突き出すことなどしない。
 しかし今回はお仕置きも兼ねているため、2週間の研究室への出入り禁止と、コスプレサークルへの仮入部を命じたのであった。
 ちなみにサークルは真知子が募集をかけて選んだサークルなので、弄られはするものの峰子の傷をえぐられるようなことはされないだろう。
「それじゃ、しばらく楽しんでらっしゃい」
「おにー! 先輩のおにー!!」
 新しい服を持ってきた学生はさておき、真知子は向かうべき場所があった。花蓮が所属していたオカルトサークルだ。
 そのサークルの扉は古く、いかにも妖気を立てそうな雰囲気をかもし出していた。
「やっぱり入るの?」
「あぁ、ダメか?」
「ダメじゃないけど……本、返してくれる?」
「あれはサークルの備品だろう。元あるところに返すんだ」
「OB特権」
「ダメだ」
 むくれる花蓮。
「……それより、もったいなかったねぇ津屋崎さん。あのまま人形のままにしておけば着せ替え人形に出来たのに」
「人の生徒をおもちゃにするな。幸い放置しておくだけで元に戻ってよかったよ」

 帰宅から5日後、何事もなかったように捧げ人形は峰子に戻っていた。
 それでもしばらくは自分を人形のように思い込む節も見られ、療養も兼ねて当分の間は活動を自粛していた。
 もっとも山道を一生分歩いてきたので疲れを癒やす目的もあったが、いずれにしても良い長期休暇にはなった。

「それじゃ、入るぞ」
「しょうがないわねぇ。それじゃぁ、またね」
 入れ替わるように真知子はサークルの中へ、花蓮は外へと去っていった。

 活気にあふれる室内から少女が飛び出す。
 峰子は姿こそ元に戻ったものの、まだ頭の何処かでは”捧げ人形”という単語がちらつき、体がざわめいてしまう。
 当時の記憶こそ薄ぼんやりとしか覚えていないものの、確かに自分は崇められ、自我を失う前に助けられた。それだけは確かだ。
「なんだか、着せ替えられるとそんな気分が……あっ」
 そんな彼女の目の前を花蓮が通りすぎる。山で雷に打たれて灰になった覚えがあるが、目の前にいる以上はどうでも良かった。
「あ、あの。大丈夫ですか!?」
「あら、私は平気よ津屋崎さん。お人形さん姿、可愛かったわよ」
「ふえっ!? あの、見てたのですか?」
「うふふ、それじゃぁね」
 しどろもどろになっている間に、花蓮はその場を立ち去る。その後を続くように、血相を変えて真知子が走ってきた。
「峰子。今、多々良野は見なかったか?」
「どうしたのですか先輩? 多々良野さんならいまそこに」

 後ろを振り向くが、そこには誰も居ない。

「居ないな」
「あれ? 確かにさっきまで話しかけてくれたのに」
「……そうか。おまえ、しばらくは休め。入室禁止の間、研究を忘れてゆっくりしているんだ」
 顔色を戻そうとしながら、真知子は峰子に話しかける。
「なんだかいつもの先輩らしくないです。何かあったのですか?」
「ちょっとな。あと、文献見つけたりしたらまず連絡入れろ。それじゃ」
「それじゃって、ちょっと単位はどうなるのですか!?」
 峰子が止めようとするも、振り払うようにその場を後にする。真知子の内心は顔に出さないが、非常に動揺していた。

「死んでいる?」
「正確には行方不明ですけど、死体も見つからないのでご家族も失踪届を出されまして……この本も遺品になってしまいました」
 本を返しつつ、サークルのメンバーが感慨にふける。
 オカルトサークル内には、花蓮の写真と白菊が一輪添えられ、部屋も黒っぽい彩りになっていた。どうやら花蓮の喪が終わるまでこうしているそうだ。
 そのような中で、『花蓮と一緒に出かけて山に登った』とは言い出せない。おそらく彼女がサークルへの出入りを拒んだのも、死んだという事実を知られたくなかったのだろう。
 では、目の前に現れ、共に行動した花蓮は何者だったのだろうか? 推測だけが頭をよぎっては消え、結論が出てこない。

 共に行動する死者。そうだとしたら非常に厄介なものに絡まれてしまった。
 お祓いをしようかとも考えたが、今だけ花蓮に対して思慮することを止めた。
 山の疲れがまだ、癒えていないのだから。

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