色無き鬼は神をかたる

昔話の答え合わせ的な、もうこれ出しても別にいいのではってなったので出してみる。
ネタバレとかが気になるって人は見なくていいかもしれない。
よくわからない人はしろくろにっき本編を見て

鬼は人を食った。
神は鬼を調伏するべく、7人に色を与えた。
かくして鬼は調伏され、子は親の元に帰された。
鬼も色も神に返され、人は今も生き続ける。
神話は、こうして造るもの。
では、真なる神話とは、いかなるものかーー。
時は数百年前。まだ人魔の境もうつろな時代。
この地を襲った大飢饉は、人間化生問わず襲いかかり、命を落とした。
かつての子鬼だった零無もまた、餓死寸前の折、白の色の子を食らった。それが人々の逆鱗に触れた。
当時の土地神が与えた色の力はことごとく零無を打ち据え、なおも許さなかった。
人々は、彼女を殺さなければ気が済まなかったのだろう。化生に人の子が殺された。この、皆が飢えている時代に。
だが、少女は蘇った。白の色を持つ子は、自ら色を殖やせるから。それを少女も知って、自ら喰われたのだから。
だが、人々は子が蘇ったという事実一つで十分だった。理由などいらない。神の加護が、そうさせた。それだけで十分だった。
では、鬼の子はどこに行ったのか。
どこにもいない、どこに行ったかも興味は持たない。
鬼など、最初から誰も目もくれなかった。
なにせ、大飢饉のさなかの話なのだから。
怒りの、憤りを晴らす場所を、誰もが求めていたのだから。
だが、鬼は、零無は飢饉の後も生き続けた。
人を恐れ、人を呪い、長く生き続けた。
その間に人々は死に、生まれ、また死んでは生まれた。歴史が何度経とうと、人への恐れはぬぐえず、そして人の世界を呪い続けた。
いつしか人は歴史を自分の都合の良いように書き換えていった。
だから、私もまた、人を、街を書き換えた。家畜として、エサとして。
はじめに、人によって与えられた土地神の権能をもって、眷属であるイロクイを殖やした。そして、街からイロクイに関わる現る記憶を速やかに消し去る――結界よりも強固な土地の掟を定めた。
この街にいれば、仮にイロクイに殺されたとしても数日もすれば忘れてしまう。また子を産み落とせば帳尻がつく。無自覚で、残酷な土地の力。
だが、それでも人は、土地は生き続ける。零無は土地を生かすという使命を、街と人、そしてイロクイのライフサイクルを保つことにすり替えることに成功した。
だから、この街ではあらゆる人が殺されても、襲われてもすぐに忘れてしまう。日常の戻りがあまりに早すぎるが、気にとめる者はいない。いるとしたら余所者ぐらい。それも街を出れば朧となる。
帆布の街は単なる街。人間が頂点に立たぬ街。それ以外の何者でもない。
一方、色使いも現代に蘇らせた。
7人の子にひときわ秀でた素質を与え、一方で強くなりすぎないよう名に呪いをかけた。
それが『色違い(いろたがい)の呪い』。名に呪いを打ち込み、色の力に枷をかけ続ける、無自覚の呪い。この零無の持つ恐怖の記憶そのもの。
己を傷つける神の懐刀にはさせない。イロクイの番人たる、無垢なる力の使い手として、二度と傷つけられぬようパワーバランスを構築した。
だが、あと1人。8人目の色使い。
それが巫女。絶対的な信望者、裏切らぬ盾であり、剣。伝承の語り部はたとえ誤りだろうと、歴史を紡ぎ続ける。彼女は無自覚であり、それが連綿と綴られた使命――そう解釈しているのだから。
彼女の成長につれ布紙(ふし)の地も、帆布(はんぷ)へと変わった。
2つに別れた街は、色使いの権能を持つ者の親によって束ねられ、
戦いの息吹は色使いの権能を持つ者の親によって受け継がれた。
清く明瞭な関係は、色使いの権能を持つ者の親によって綴られ、
醜く不信に満ちた関係は色使いの権能を持つ者の親によって造られた。
「神は、我にも微笑みたり。否、もはや――私が神か」
自嘲気味にほほえむ零無。街を記した巻物には生きるものすべての色が記され、すべてが手のひらの上。
それでもなお、彼女は人の恐怖を忘れない。
過去を蔑ろにしたとき、零無は再び人々のために虐げられる、ただの化生に成り下がるのだから。
修羅地獄の地、鬼は人の子を食った。
神は鬼を調伏するべく、7人に色を与えた。
されど人は調伏することなく、心魂すべてを打ち砕こうともくろんだ
泣けど叫べど、助けは来ず、しかし、子は確かに私を救った。
しかし、鬼より恐ろしき人々は何もなかったかのように目を背けた。
背け、忘れ去られた鬼は、身勝手にも虐げた鬼を土地神へと祭り上げた。
故に、我は、権能を示す。
この街で、人はただの餌に過ぎないと言うことを。
この街は、私が生きながらえるための牧場ということを。
子の恩と、人々への憎しみと恐怖
恩讐こそがこの私『色のない鬼』の存在意義なのだから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました