「遅いなぁ」
いつもどおり帆布中央公園で待ち合わせしている翠。今日はきらりが来るのがちと遅い。気になってスマホを確認するも、まだ連絡はない模様。
イロクイにでも襲われたか。そんなことを考えていると、突如地面が大きくたわんだ。
「ななな、あわわわ」
翻弄される身体を地面に這いつくばり、周囲の悲鳴にあちこち見回す。
その視線の先、同じように地面に這いつくばっているきらりの姿が見えた。
「きらり」
そばに見知らぬ子がいるが、そんなことはどうでもいい。地震はしばらくすると収まり、周囲ではパニック収まらぬ状況が続いていた。
「すーちゃん!こわかったよぉ…」
「よしよし、それよりそっちの子は?」
青ざめた顔でまだ地面に這っている緑髪の少年。見た目からして同じぐらいの年齢か――。そう考えていると、森の方からミシミシ、バキィ!と音が鳴り、公園に居た子供は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「さっきの地震のせいかも、どうしよう城奈まだ来てないし」
「うーんうーん、携帯もつながらないしもう少し待ってみる?」
そんな話をしていると、森の中から人影が見え始めた。
「……森に誰か入ってたっけ」
「わからない。おーい! 大丈夫ですー!?」
きらりが声をかけると、大きな影が手を振り、声に応じる。何か言葉を介しているように聞こえるが、日本語とは異なるようでよくわからない。
だが、しばらくすると淡い光が漏れ、影から赤髪の女性と緑髪の、メイド服の少年が姿を見せた。少年は『言葉、わかります?』と話しかけたが、それを押しのけるように女性がきらりに話しかけた。
「これでよし、この辺の子かい?」
「うん。森の方でなんだか危ない音がしてたけど、大丈夫ですか?」
「まぁ、うん。何とかね」
女性はリリと名乗り、傍らの少年はリュドラと名乗った。
2人は異世界から来た魔法使いと従者で、『魔力の渦』というのに巻き込まれて、この世界に飛ばされたという――翠は怪しみながら聞いていたが、流石に魔法使いと名乗る大人には困惑した。
「ねえ、この人怪しく……きらり?」
「ねえねえリリさん。魔法使えるなら見せて欲しいな! きらりも――」
「きらり」
きらりはむぐぐと口を紡ぎ、リリはその姿に笑う。
「まぁ怪しまれても仕方ない。私達はしばらく元の世界に戻る方法を探すとするよ」
リリはそう言うと、そそくさとその場を立ち去ろうとする。それに続けとリュドラも後を追う。
「また、なにかあるかもしれません。その時はよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げ、急かす声に続けと後を追うリュドラ。2人は公園から抜け、どこかへと行ってしまった。
「飛ばされた影響で森をなぎ倒したり地震起こしたり、どうするんですかこの先……」
「幸い自身の影響で崩れたことになっている、それでいこう。魔法もまだ見せない、お前も普通のメイドとして振る舞え」
「なぜです?」
「あの子達からも魔力のようなものを感じたからね。まぁまた会うだろう、ネタばらしはその時だ」
閑話休題、公園に視点を戻そう。
周辺には様子を確認しに来たのか大人たちも出たり入ったりしている。
「これ以上何か起こっても困るんだけど……ところできらり、そっちの子は?」
「あ、あー。もう大丈夫?」
緑髪の少年――こちらはふさふさとした若草のような毛触りをしていて、先程のメイド服の少年と比べるとやや小さい。
「大丈夫、です……こんな揺れは初めてだから、うぷ」
翠はみかねて『とりあえず座ろう』と少年をベンチに座らせ、自分達も座る。そんな中、少年は口を開いた。
「僕は、ヘキサドリィといいます。この世界――とはまた別の世界にいたのですけど、ある遺跡に入った時にこの世界に飛ばされちゃって……」
あぁ、またか。翠はそう思いながら話を聞く。
ヘキサドリィの居た世界は中世っぽい世界で、過去の遺跡がたくさんあるという。その一つを探索中に部屋が崩れ、この世界に飛ばされた――という。
「それで途方にくれてたら、きらりさんがついて来てって」
なるほど、だから一緒にいたうえで連絡も遅れたというわけだ。
「ねえ、きらり」
「なに?」
「怪しい人を連れてくるなって紫亜さんや真畔にも言われたでしょ」
「うーん、でも困ってたし、何か怪しいって感じでもなかったしいいかなって」
翠はきらりの言葉に思わず『だめだこれ』といわんばかりの顔をした。
「でもでも、ヘキサ君すごいんだよ。未来が見えるんだって」
「未来が見えるなんてそういうのじゃ。ちょっと先の出来事が見えるだけですよ」
「それって未来予知じゃん。どうやって見えるの?」
きっと先程の怪しい大人のような嘘かもしれない。翠は挑発するように『やってみせて』とヘキサドリィに話しかける。
「見えるかどうかはわかりませんが……」
少年はそういい、翠の瞳を見る。
「……顔が近い」
「うぅ、もう少し待って下さい」
互いにドギマギしつつ未来を視る。奇妙な生き物とやられたであろう犠牲者のすがた。そして、追い詰められて――。
「もういいでしょ」
「っとと、あっはい。なんとなくわかりました」
翠はヘキサドリィの顔を押し退け、尋ねる。
「それで、何かわかった?」
「はい、奇妙な生き物が襲いかかって、その……やられる未来が」
しゃくに障ったかのようにと顔を歪める翠。それに対しきらりは興味津々だ。
「奇妙な生き物ってイロクイのことかな? すーちゃんの色はこれでも――」
「きらり」
翠の言葉に口をふさぐきらり。
「城奈が待ち合わせ場所を変更したいって。その子、どうする?」
「どうしよう。ねえ親とか居ないの?」
「それなら大丈夫です、用意がありますので。それはそうと気をつけてくださいね」
「わかってる、ありがと」
翠がきらりの手を引っ張り、公園から去ろうとすると、きらりも『またね!』と告げ、公園を去る。その姿をヘキサドリィは見つめるばかりだった。
「なんだか嫌な予感がするなぁ……」
翠ときらりはヘキサドリィと別れを告げ、帆布駅前通りへとやってきた。整備された町並みは外部との玄関口としても機能していて、色んな人が行き来している。
そんな中、リムジンから降りてくる少女の姿があった。
「城奈ちゃん!」
「ごめんなのね! お父さん乗せてたらこっちのほうが早いかなってなったのね」
「まぁあの地震だしね。また起きなきゃいいけど」
翠がそう漏らすと、また地面が揺れた気がした。
「また揺れた?」
「のね。早く建物に入ったほうが――」
そんな時、周囲から悲鳴のような声が上がりだした。
「か、怪物だぁ!」
「怪物だなんてひどおぉぃ。街のために尽くしているのになぁぁ」
マンホールから吹き出した汚水はみるみる姿を変え、汚らしい肌の色をした人型に変わる。目も口もある。言葉も喋る。
「これって……」
「イロクイ? でも何か何時ものと違うのね」
「あわわわ……」
男が腰を抜かしていると、汚水から生まれた怪物は彼を抱擁し、飲み込んでしまう。
「ゲップ」
そして、人の形をした汚水の水袋を吐き出す。色を吸い取って自分の色に変える。それがイロクイの本能とすれば……。
「止めないと。きらりはあの人をおねがい」
「おっけー!」
「城奈は翠ちゃんの援護なのね!」
人々は逃げ、警察が周りを封鎖し始める。そんな中、リュックサックを背負ったツインテールの少女が何やらイロクイをスケッチしていた。
「やっぱり噂通りでした。この街はバケモノと、あとは色使いっていう妙な力を持った人々がいるはず。来た甲斐がありましたよ、これは!」
が、そんな人間(エサ)を見逃さないイロクイではない。
「あらあぁぁ、私のイロ、ほしいぃぃ?」
「ひゃあああっ!!?」
素っ頓狂な声を上げ、リュックを背負ったツインテールの少女がスケッチブックを落とす。
「つかまえたぁぁ」
「わ、私を食べても美味しくないですよ?」
「イロクイはねえぇぇ、私の色を増やせればいいのぉぉ」
「それはし、うぷ、オゲ、ゴ……」
少女の顔は汚水の顔で塞がれ、言葉も妨げられる。そして、顔から全身にかけて汚らしい色が広がっていく。
「あまぁぁい、きいろおぃぃい。わたしのいろぉぉ」
ブクブクと音を立てて循環していく汚水に、少女はひく、ひくと体を動かすばかり。ショックと想像を絶する苦痛に言葉も出ず、そのまま手足の末端まで汚水の色も染め上げられてしまった。
汚水イロクイは満足そうにゲップをし、少女だった汚水袋をポイと捨てる。地面に打ち捨てられた汚水袋はスカートの下から音を立てて汚水を撒き散らし、袋の中でブクブクと泡を吐きながら汚水が生成されていく
「あらぁぁ、苦しめすぎていい感じイィ、これで私の仕事も――」
イロクイが満足そうに眺めていると、突如背中に染み込むような強烈な痛みが襲いかかった。
「いたぁぁぁい! 来たわねぇぇ」
体を揺すって混ぜると、黒の色が混じっているのを感じるイロクイ。自身を狩る存在を察知し、思わず身構える。
「あわわ、遅かったのね」
「早く倒して元に戻せばいいだけ」
それは色使いも同じこと。早く倒さなければ、犠牲者を元に戻せなくなるからだ。
「あなた達もぉぉ、わたしのしごとぉぉ」
「一気に突っ切るのね!」
汚水を飛ばしながらズリズリと逃げ回るイロクイに対し、城奈が翠の足や手に赤の色を文様のように刻み込む。肉体をより強化する、色鬼零無(れいむ)から教わった印だ。
「おぉぉ、早い早い」
「弾けろ」
動きを先回りし、黒の色を槍のようにして、一点に打ち込む。背中から生えた黒の槍は瞬く間に色が広がり、汚水イロクイを飲み込んでいく。
「でもいいのぉぉ? 足元ぉぉ」
どういうことだと足元を見る翠。そこには先程飲み込まれた少女が撒き散らしていた汚水が、まるで粘着シートのように彼女の足を捕らえていた。
そして、その汚水とつながるようにイロクイが居た。
「こうやってもぉぉ、つかえるのぉぉ」
その言葉とともに、少女だった汚水袋からスプリンクラーのように汚水が撒き散らされる。下半身だけではなく、目や耳、髪の先端あらゆる場所から吹き出し、グネグネと荒れ狂いはじめた。
翠は慌てて目にかからないよう覆い隠すも、手足や身体に汚らしい液体が飛び散り、特に足やスカートはドロドロになってしまった。
「こいつ、ただのイロクイじゃない……」
「そうよぉ、イロクイも進化するのぉぉ。これで、黒のいろもたいらげえぇぇ」
そう言いつつ抱きしめようと近づく汚水イロクイ。このまま色を食われ、周りに転がる汚水袋のようになってしまうのか――。
そんな中、小さな影が飛び出すようにイロクイを切りつけた。
「氷結斬!」
一閃を受けた汚水イロクイは、見る間に凍りついていき、動きを止め……。
「おぉぉぉぉ!!?」
そのまま粉々に砕けてしまった。一瞬のこと、何があったのか翠にもよくわからなかった。
「大丈夫ですか!?」
そこに現れたのは、先ほど公園に居た少年ことヘキサドリィだった。氷でできたレイピアを消し去り、ほっと一息つくと、また顔を青くする。
「だ、大丈夫じゃないですね。くさい……今、なんとかします」
そういい呪文をつぶやき、周囲の汚水を取り払うヘキサドリィだったが、それ以上に危急すべきことがあった。
「きらりちゃんこっちこっち!」
城奈がきらりを引っ張り、少女だった汚水袋を治癒しようと自らの色を与える。白の色は強力な気つけになるとは言え、酷使されすぎた汚水袋はあちこちからガスを吹き出しつつ、中でブクブクと泡を吐き続ける。
そして、ひときわ大きな泡が沸き立つと同時に袋の表面が一気に裂け、飛沫とともに袋はバラバラに破けてしまった。
「……ど、どうしよう」
「……」
「これって……」
ヘキサドリィが回復呪文をかけようとするも、当然汚水にかけても何も起こらない。汚水溜まりを中心に、困惑した重たい空気が流れる。
こうなっては色使いを持ってしても戻すことは出来ない。変化されたあとも酷使された肉体は、常軌を逸した苦しみに耐えかねて崩壊した。それはすなわち、死を意味するのだから。
それを防ぐために戦ってきた色使いにとっても、この事実はあまりに酷く、周りに漂う匂いさえも感じ取れずに居た
「なら、私に任せてもらおうか」
そんな揃って泣きそうな状況の中、女性の声が遠くから聞こえた。周囲の時間が泊まったように固まり、動かなくなる。そんな中、赤髪でローブを纏ったリリが、汚水溜まりをまじまじと見る。
「あ、あの。これ……」
「んー、魂を汚染しつつ肉体まで変質させるバケモノなんて、厄介な奴と相手してきたんだね、君ら。と言ってる場合でもないか」
そういい、リリは呪文を早口で唱え始める。それと同時に汚水袋がグネグネと巻き戻すかのようにのたうち回り、宙に浮くと元の少女の姿に戻った。
ただ、少女の姿は固まったままだ。
「まぁ禁術だけど罰が下るわけでもなし、と」
「あの、これで……」
「んー、怪しんでいた子だね。それより他に聞きたい言葉があるなぁ」
リリは待ちわびていたかのように翠に問い返す。
「……ありがとう、ございます」
「なのね! ありがとうございます!」
「うんうん。ただこんなことにならないようにね。周囲の時を止めるのも大変なんだし」
そう言い、リリはその場から姿を消した。
「あぁ、言い忘れていた」
どこからともなくリリの声が響く。
「どうもこの世界は変な風にくっついて、行き来できるようになってしまったみたいだ。これまでと何か違ったことになるかもしれない。ちょっとは覚悟しといたほうがいいかもしれないよっと」
言葉が終わると、周りの人の往来が流れ始める。腰を抜かした少女はよくわからない顔のまま、翠達を見つめる。
「……」
「……」
「えーと」
「えーと……変なバケモノ見なかったです?」
少女――いや、女性の名は津屋崎峰子という。とある大学の学部で民間伝承学を学んでいたが、ふとした事情からオカルトじみた案件にまで研究するようになった。
そんな彼女が目をつけたのが、帆布市に伝わる色使いの伝説だった。
「そんな訳でやってきて、よかったら絵にでもしようかなって」
「…………」
翠ときらり、そして城奈はクレープを食べながら、互いに顔を見合わせる。『これは関わったら危険だ』というのを、偶然にも3人はしかと感じていた。
「あの」
「なになに?」
「クレープごちそうさまでしたのね!」
そういい、3人は脱兎のようにその場から立ち去った。
「あっ、待って! 絶対何か知ってますよね!? おーい!」
峰子は追いかけようとするも、周りの目が向くのを感じて声をかけるのを止めた。
「うーんうーん、早速行き詰まりです……」
「あの、もし僕で良ければ」
「あ、もう1人居た。君も色使い?」
「いえ、色使いではないですけどお役に立てそうかなって――」
こうして峰子はヘキサドリィという相棒を得て、帆布市の調査を始めることとなった。民間伝承の域を脱しない話ではあるが、峰子の直感は確かに告げていた。
「ドリィ君が一緒なら、絶対にたどり着ける気がします!」
「(さっき倒したんだけどなぁ……)」
彼女のスケッチブックには、書きかけのイロクイが残っていた。が、時間を戻された彼女の記憶からは、書いた記憶すらも残ってなかったそうな。
ところで、紫亜達はと言うと――。
「……」
「ど、どうしようこれ。学校とか……」
真畔が突如大きくなり、中学生になっていた。
「まぁ、何とかなるんじゃない? 真畔ちゃん頭いいし」
「そういう問題じゃないでしょ!」
背丈も藍と同じぐらいにまで伸びた彼女は、困惑したまま紫亜を怒鳴りつける。
翠達が買い物を終えて神社に合流し、たいそう驚くのは言うまでもない話だった。
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