#15 色の撒かれた地へ

「なに、これ……」
「なんだかこわい……」
 帆布中央病院に足を踏み入れた翠ときらりの第一声は、恐怖と混乱の入り混じったものだった。
 玄関口は様々な色をぶちまけたかのように飛び散ったり人の形をとっており、奥に行くにつれてそれが如実に増えていく。
 特に待合室には色が混ざり合い、何があったかをありありと示している。
 色災がすべてを飲み込み、ここにいた人々を物言わぬ”色の塊”に変えてしまった。そして、色の塊が元の姿になることはない。

「……」
 紫亜は軽く目をつむり、そして前を向く。
 何かが這った跡もあり、その道に合わせて色が伸びている。イロクイと思われる怪物もまだ潜んでいるのだろう。
「どうする? ここから手探りで橙藍鬼とうらんきを探すのは危ない気がする」
 真琴の言葉に城奈がうなづく。
「城奈も同意見なのね。ここは敵の本拠地、何が仕掛けられてもおかしくないの―ね」
「そうだね。勝てるかな」
 サンは不安そうに言葉を漏らす。凄惨な場面を見て気が落ち込んでいるのだろう。
「心配しないでサン君。こんなときこそ城奈がサン君を守るのね」

 各自が自分を強く持ちながらさらに先へと進んでいく。
 電気のついていない病院はさながらホラーハウスのようだが、幽霊はいない。
 代わりに怪物と鬼がいる、それだけで恐怖は増していく。

「そう言えば、さっき使った色合わせ――合体技みたいなのはどうやってやったのかしら?」
 怖さを凌ぐように紫亜はきらりに話を切り出す。
「うーん、よくわからないけど、なんとなく『すーちゃんとならいけそう!』って感じがしたから?」
「なるほど。きらりちゃん、さっきの技、また使えるといいね」
 紫亜は言葉を選ぶようにきらりを励ます。
 『色合わせ』は2つの色を融合させて放つ技。強い威力を有するが、普段のイロクイを追い払ったり無力化させる戦いにおいては過剰な火力となる。
 なので、本来であれば戦い方として教えないものを、偶然とはいえきらりと翠は使ってしまった。
 だが、その色合わせこそが今回の戦いの切り札になるかもしれない。そう紫亜は考えた。
「翠ちゃんも、体は大丈夫?」
「まぁなんとか、きらりから送られた分は吐き出したし」
「ごめんねすーちゃん、あのときちょっと覚えてるけど体がいうことを聞かなかったの」
 きらりは謝るが、翠は気にしていない様子を貫く。
「それより橙藍鬼を倒そう。あいつを野放しにしてると街がなくなってしまう」
「そうだね、止めないと」

 それぞれが病院内を固まって探索し、橙藍鬼を探す。受付や待合室、診察室にはいない。あとに残るは入院病棟と救急病棟のみ。
「二手に分かれるのはさっきのとおり危ないわね……翠ちゃんならどっちにする?」
「なんで私に振るのさ」
「そこはなんとなくかしら。近くにいたしね」
 翠はあきれつつも考え、口を開く。
「救急病棟。仮に橙藍鬼と鉢合わせたときもそっちなら戦いやすいし」
 なるほど、と返す紫亜。入院病棟は廊下が伸びているとはいえ、広い部屋でも集団病室ぐらいなもの。それよりも広くて戦いやすい方を選んだ算段だ。
「きっと橙藍鬼は待たない気もするし」
 なにより翠は橙藍鬼がじっくり構えず、待たないことも把握している。そして待たなかったがために色合わせで撃退された。これが大きなヒントとなった。
「わかったわ。いつ襲われても大丈夫なように気をつけながら行きましょう」

・色無き獣、再び

 紫亜を先頭に、翠ときらり、城奈、サン、しんがりに真琴を据えて進んでいく一行。
 救急病棟は本来一般人が入れないところだが、一人もいない状態では止めるものも当然いない。
 もっとも病棟にいた人間はみんな色の塊にされてしまった。その元凶を探して止めることが先決だ。

「それにしても不気味なのね。普段の病院とは全く違う感じなの――」
 そのとき、城奈の目の前の扉が開け放たれ、部屋の中から全身真っ白の怪物が現れた。
「シロクイ! やっぱり病院内にいたのね」
「しかも部屋の中にたくさんいるよ!」
 きらりは部屋をのぞくと、そこには部屋のあちこちでうごめく数十体ものシロクイの姿があった。
 そのイロクイが、ゆっくりとではあるがきらりの存在に気づき、入り口に集結していく。
「きらりは先に行ってて」
 翠は入口近くに黒色を撒くと、すぐに先行するきらりのもとへ向かう。
 シロクイもそれを追うように入り口に殺到するが、翠の黒色と入り口の狭さに阻まれ思うように進めない。
「とにかく今のうちに先に!」
「はい!」
「わかったのーね!」
 後続の3人も走ってその場から去ろうとするが、そのとき、目の前を遮るように色の柱が立ち上がった。
「今度はなんなのね!?」
「まさか橙藍鬼の仕業? このままじゃ通れないわよ」
 青と橙の混じった色の柱は徐々に弱まってはいるものの、通り抜けて何かあっては困る。
 だが、後ろからは入り口を突き破ったシロクイが雪崩のごとく色使いのもとへと向かっていた。
「……真琴ちゃん」
「何?」
 城奈はそういうと、真琴の手足に向け、赤色をかける。
「ちょっと、何よこれ!」
「これで少しは身体能力が上がるはず。これで色の柱を飛び越えて翠ちゃんたちと合流してほしいのね」
「2人はどうするのよ、ここで止めるっていうの?」
 その言葉にうなづく2人
「このあとサン君も向かわせるのね。今は橙藍鬼の手がかかりそうな3人の援護をお願いするのね」
「いやだ!藍だけじゃなく城奈やサン君までいかないで!」
 渋る真琴に対し、城奈は諭し続ける。
「絶対合流するから、とにかく今は、お願い!」
 真琴も城奈の気持ちを察することができる。だが合流できるとは限らない。そうやって悩んでいる間にも徐々にシロクイの波が近づいてくる。
「……わかった。絶対来なさいよ、ぜったい、ぜったい!」
 そういい、真琴は増強された身体能力で色の柱よりも高く飛び越えて走っていく。

・守りたい色

「さ、サン君も一緒に行くのね……といっても聞かないのね」
 そう城奈が告げると、サンはうなづく。
「城奈を1人にはできないからね」
「それは城奈のナイトとして?」
「そうかも」
 そう言い合い、シロクイの波と向き合う2人。
「とにかく柱が弱まるまでが勝負なのね。弱まったらすぐに合流!」
「わかった。それまで一緒に頑張ろ――」
 そうサンが返そうとしたときだった。白いホースのようなものがサンの目の前を勢いよく横切る。
 一瞬だけ怯んだものの耐性を立て直すと。そこには城奈はいなかった。

「しろな…城奈ちゃん!?」
 慌ててあたりを見回すと、底には首をホースのように伸ばしたシロクイが城奈を丸呑みしたかのように、足だけ残して捕食しつつあった。
「あ、あ……」
 目の前で呑み込まれる城奈の姿に何もできない。先程までの意気が砕かれていくようでもあった。
「もう、だめなの? 何もできずに、シロクイに、食べられて……」
 どうしたものかもわからない、圧倒的な差に腰が抜けるサン。それは呑み込まれた城奈も同じだった。
「こんなに何もせずおしまいなんて嫌なのね、誰か、誰か!!」
 そう叫んでも声が聞こえることもなく、城奈の色が、生命力が徐々に食われていく。意識が暗く消えつつある中で、ただただ願い続ける2人。
 もはや万事休すか。そう思ったとき、奥で何やら騒がしい声が聞こえだす。

・遅れてやってくる彩り

「――こっちだおっちゃん!」
「まだ怪物が残ってる、封じろ!」
「まったく年寄りをこき使う子でよ」

「健児、くん?」
 シロクイが突如の乱入者に混乱をきたし、呪物で次々縛られていく。サンの目の前にいたシロクイが逆方向を向き直る。
「こんな事をしたら色神様に怒られるでよ」
「うるさい場を考えろ!」
「へいへい」
 年をとった男性が放った赤色を拳にまとったもうひとりの男性は、自身の黒色と混ぜ、シロクイに打ち付ける。
 シロクイは強化された色の効果と痛みにもだえ苦しみ、城奈を吐き出す。
「城奈ちゃん!」
「うぅぅ、なんとかたすかったのね?」
「うん、うん。今は休んでて。ありがとうございます。ええと……確かパン屋でイロクイと戦ってた人」
黄瀬 太蔵きせ たいぞう。そっちのは太白 勝利たいはく かつとしだ。それより無事か?残りの色使いはどうした」
 まくしたてる太蔵に受け答えるサン。一通り答えたあと、今度はサンが返す。
「なぜここのことを?」
「それはわしも知りたい。そこの子供が一番知ってるだろう。な、刑部ぎょうぶさんよ」
 そういい奥から現れたのは、僧装束姿の背の高いひげの男性と健児の姿。
「いや、このおっちゃんは俺のいうことを聞いてくれただけだ。へへ、ヒーローは遅れてやってくるってやつだぜ」
 そういい、健児はいばる。
「地図であの橙藍鬼ってクソ鬼がいるのはわかってたんだ。けど零無が邪魔してたから疲れて消えた瞬間を見て抜け出してきたんだ。まぁ俺の足でも間に合わないから――」
「私の出番というわけだ。まったく。紹介が遅れた。私は赤崎 刑部(あかさき ぎょうぶ)。布津之神社で神職を務めるものだ」
 かくして健児と刑部率いる布津之神社の有志一行は、中央病院に直行して今に至る。リスクの伴う行為だったが、今回は功を奏した。

「ありがとうございます。今、分断されていてこのままだと六宮さん達が……」
 勢いが弱まっていく柱を尻目に、不安げに語るサン。刑部もまた渋い顔をする。
「そうだな、君たちは先に行ったほうがいい。本来は大人が前線に立つものだが、色の衰えたものが出ても足を引っ張るだけだ」
「そうでよ、太蔵ももう色切れそうでヒイヒイ言ってる」
「バカ言え……顔に出さないだけで、お前も、だろう」
 確かに太蔵と勝利はイロクイと戦って、間髪入れずにシロクイとも闘っていた。疲れるのも当然だ。
 満身創痍な彼らを強力な色鬼の前に出すのは自殺行為だろう。
「私達は私達でできることをする。君たちは君たちのやるべきことをしてくれ」
「わかったのーね。ちょっと回復してきたのね」
 城奈はよろめきながらも立ち、シロクイの唾液で湿った服を払う。
「俺はもう少しここにいておっちゃんたちの守りをする。来る前にやられるんじゃねぇぞ」
「わかった、健児くんも無事で」

 弱まって飛び越えられるほどの高さになった柱を超え、サンと城奈は先に向かう。
 その先に待っていたものは――色の跡だった。

「な、なんなのねこれ……」
「戦った跡だ、奥に続いてる」
 あちこちで黒と紫、そして赤と青の色が飛び散っている。
 城奈とさんはそれを追うように先に進む。その先にあったものは、手術室だった。
 中からさまざまなものをひっくり返し、叩きつける音が響く。
「今度は奇襲を受けないようにするのね」
「わかった」
 2人は伏せつつ、慎重に戦場への扉を開けた。


城奈とサン、真琴と分断された頃。先行した翠ときらり、そして紫亜もまた後ろに立ち上がる柱を見て呆然としていた。
「分断されたわね、狙いはとことんこっち――なのかしら」
「正解だ。人数が少ないほうが手がかからないからな」
そう言い、向いた先にいたものは藍の身体を乗っ取った色鬼――橙藍鬼だ。
「藍の身体、返してもらうわ」
「それは無理な話だ。だってお前たちはみんなここで死ぬんだからな!」
そう告げ、両手から橙と青の色を飛ばす橙藍鬼。不意打ちに身をかがめる3人だが、被弾した箇所は熱さや冷たさが走り、それが痛みとなってそれぞれの身を苛む。
「うぅっ」
翠もまけじと色を撒き散らすが、上手く当たらない。橙藍鬼の身体能力が高く、適当に打っては当たらないようだ。
「もっといい場所に案内してやるよ! 奪い返すのならかかってこいよ」
挑発するかのように奥へと走っていく橙藍鬼。奥にあるのは確か、手術室。確かに広い場所ではあるが、上手く戦えるかは別だ。

「挑発に乗るようで嫌だけど、行くしかないわね」
「同感」
「でも、どうやって藍さんの体を取り戻そう?」
「サンくんの橙色を藍の橙色と共鳴させることで目覚めさせるのも考えたけど、現状だときらりちゃんの白色で少しずつ目覚めさせるのが一番ね」
きらりの疑問に紫亜が答える。うまくいくかと言われると微妙だが、橙藍鬼が定着した肉体から魂を剥がすのは至難。できることをやるしかない。

「間に合った! そっちの様子はどう?」
少し遅れ、手足を赤く染めた真琴が合流する。
「あまり良くないわね。橙藍鬼はこの奥にいるわ」
「そう。城奈もサンもシロクイを食い止めるつもりみたい。無事だといいけど……」

3人から4人になった一行は話しながら手術室へ入る。中には手術台や用具を置くための台、メスなどの道具もそのまま揃っている。本来なら手術が行われる場所も色の塊が散らばっており、無残な姿を示している。

「何が飛んでくるかもわからないわね」
翠はメスを手に取り、黒の色を流し込もうとする。妙な高ぶりとともに、頭の中で橙藍鬼を滅多刺しにする妄想が浮かび上がる。
「翠ちゃん!」
「ん」
声をかけられ、慌ててメスから手を離す翠。
「武器はまだ使わないこと、いいわね」
翠はうなづく。もしあの妄想が現実のものになったとき、抑えられる存在はいないだろう。

「それにしてもどこにもいないわね、一体どこに――」
紫亜が橙藍鬼を探すも見つからない。考えつつある中で、突如手術台が3人にとんできた。弧を描いて自分にぶつかる手術台。それを投げた張本人は紛れもなく橙藍鬼だった。
「1人生き残ったか。だがここにはいい武器もある、有効活用させてもらうか」
「翠ちゃん、きらりちゃん。とにかく橙藍鬼を弱らせて捕まえるわよ」
「捕まえる? そんな事ができると思うな!」


・圧倒的な濃色

こうして火蓋を切った戦いだが、戦況は圧倒的に橙藍鬼の有利だった。お互いに色を打ち合うものの、攻撃の圧力は橙藍鬼が強く、さらに色んなものを投げては色使いは身を隠すのに精一杯だった。人間離れした力は受肉したとはいえ、さすが色鬼といったところか。

「このままじゃきりがない。どこかで反撃しないと」
「そう言ってもこの人数じゃ下手に前に出れば狙い撃ち、きらりちゃんは守らなくちゃいけないし……」
「何話ししてんだよ、そーれ!」
橙藍鬼が椅子を投げつけ、真琴と紫亜の話を妨害する。なんとかぶつけられないようにしつつも劣勢なのは相変わらず。橙藍鬼が攻めを強めないのも、色使いをいたぶるのを楽しんでいるからだろう。
「誰だ!」
手術室のドアがかすかに開く。その瞬間を橙藍鬼は見逃さなかった。
「今っ」
色をぶつけるため、翠の方向に身体を向き直した橙藍鬼のスキを突くように、翠は小さいながら生成した黒色の槍を投げつけた。
「があぁぁっ!?」
黒色は後頭部を突き抜け、額を貫き消える。直撃を受けた橙藍鬼は思わずうずくまる。
「六宮さん!」
「翠ちゃん! きらりちゃんも紫亜さんも無事なのね!」
「なんとか。それより紫亜さん、サンが来たよ」
「助かったわ、これで選択肢が増える。いい、サンくん。今のうちに藍の身体から橙藍鬼を引き剥がすわよ」
「わかりました。今のうちに近づいて……」
5人が橙藍鬼を包囲するように進み、身構える。追い打ちをかけるようにさらに黒の色をぶつける翠。
「グ、が……っ」
声を出すのもままならないほど弱りつつあるのか。それを見て紫亜がさらに近づくよう指示する。
「サン君、橙藍鬼に橙色を流し込んで」
「はい、うまくいくかどうか……」
サンが橙藍鬼の腕を持ち、橙色を流し込む。上手く行けばサンの色と藍の色が合わさり、目覚めてくれるはず。そう考えていた時だった。
橙藍鬼の腕がサンの手首を握りしめた。

「藍を目覚めさせるって? はは、面白いことをいうなぁお前達。色鬼に勝つつもりか?」
握る力はさらに強くなり、サンは思わず顔をしかめる。
「は、離れない!」
「弱ってなかった……ならもっとぶつければ」
翠はさらに色を打ち込もうとするも、サンを盾にするように体制を変えられ、思うように打てない。
「散々調子こいてくれてよ。俺も色を流し込んでも文句はないよなぁ!」
橙藍鬼はお返しとばかりにサンに橙色を流し込む。
「ぐ、うぅぅっ!!?」
サンの中で自身の色と橙藍鬼の色がぶつかり、せめぎ合う。
「同じ色同士がぶつかったらなぁ、後はもう取っ組み合いなんだよ。けどお前みたいな青瓢箪が粘った所で事態は変わらないんだよ!」
「うぅぅ……」
サンの意識が朦朧とし始め、身体が橙に染まっていく。橙藍鬼の力に飲まれつつあるのだ。
「このまま俺の色に染めて取り込んでやる。色使い2人分の力だ、これで藍ってやつの意識も完全に上塗りしてやる」
「しろな…城奈のためにも、みんなのためにも……!」
このまま一進一退を繰り返しても、強力な生命力を誇る橙藍鬼の前には勝てない。サンはしばらく考えた後、賭けに出た。
「えいっ!」
サンは渾身の力を込め橙藍鬼の胸に手のひらを打ち付けた。
「なんだ? これは!?」
「この一発に、託しまス……」
「サン君!!」
その一発はサンの残りの色を込めたもの。それを示すかのようにサンの全身は橙色に染まり、色の塊となって崩れた。
「サン……」
「くそっ、なんだ?オレの体が、ざわついてる?」
橙藍鬼がサンだった塊を取り込もうとするも、ふらふらと後ろへ下がる。息が荒くなり、視点が定まらなくなっていく。
「見て、橙藍鬼が!」
絶望する翠とは対称的に紫亜は橙藍鬼の変化を見逃さなかった。橙乱鬼が目を見開いて身体を震わせる。瞳孔が震え、床に膝をつく。
「奴の残りカスが、ふざけやがって……!!」
色鬼の身体に眠っていた『何か』がゆっくりと目覚めていく。長く抑え、屈服させてきた存在が仲間の色の共鳴に経て覚醒することで、橙乱鬼の肉体は反乱を起こし始めた。


・取り戻した色

まっくらな中、”私”は恐怖と暴力によって縛られてきた。
自分の色を、身体を、存在を全て奪われ、何もない存在になってしまった。
いつか、助けてくれる。色使いが、みんながきっと助けてくれる。
例えそれがいつになろうと――そうやって、いつまでも待ち続けてきた。
そして今、私の中に”色”が入ってきた。
橙乱鬼とは違う、暖かな橙色。
「――さぁ、手を」
誰かが手を伸ばしてる、この手を拒めば、次はないのかもしれない。
今しかない。目覚めて、自分の身体を、取り戻さないと!

「身体がちぎれる、バラバラになる……! ありえない!私は、俺は色鬼だぞ。人間の肉を得て超越した、最強の存在だぞ!?」
「しっかりして藍ちゃん!」
「橙藍鬼なんて追い出しちゃうのーね!」
橙藍鬼の体から橙と青の霧が吹き出し始める。もはや橙藍鬼の体は受肉が維持できない状態になりつつあった。
「藍! 戻ってきて。今度こそ、私が守るから」
「藍……!」
「止めろ、俺をその名前で呼ぶな。俺、私は……こうなったら、さっき食らった橙の色使い、こいつを喰らえば――」
飛びつき、橙の塊は橙藍鬼に取り込まれる――はずだった。
「アハハハハ!  絶望しろ人間! 色鬼こそ最強! 全ての上に立つべき存在……!?」
崩れない、それどころか、巻き付き、縛るかのように橙藍鬼の動きを封じつつあった。
「お、俺様の色を使って、縛るだと! 離せ!」
「藍さんを、返シテもらいマス。今、だカラこそ、僕ができルコとを!」
その色は確かな眼光を持って、サンは橙藍鬼を見据えていた。
もはや橙藍鬼は内と外からのダメージに耐えられない。

「ぎ、あああああああああああっ!!!!」
声にならない悲鳴とともに、激しく橙藍鬼”だった”肉体から霧が吹き出した。

「霧が……離れてく」
翠は橙と青の霧が肉体から離れるのを見届ける。その肉体は霧が離れると同時にその場に倒れた。
「藍!」
紫亜が駆け寄る、そこに倒れていたのは黒髪のみつあみで、切れたナイフのような目をしていない知的で穏やかな少女――『三隅 藍みすみ らん』の姿だった。
「わたし、もどれたの?」
「えぇ、えぇ……」
「迷惑かけちゃったかな?」
紫亜は首を横に振る。
「そっか、よかった」
「藍、これ……」
そう言い、紫亜は懐からメガネ入れを取り出す。中を開くと、藍がさらわれたときに落とした眼鏡が入っていた。
「そうだね、これがないとちゃんと見えないや」
藍は紫亜につけてもらい、ようやくくっきりとした姿で紫亜を直視することができた。
「ただいま、紫亜ちゃん、真琴ちゃん」

「フザケルナァァァ!!!!!」
「!?」
霧の中から底冷えする声が響き渡る。橙と青の霧は混じり合い、一つの姿に変わる。
ねじ曲がった角、血のような色の髪と瞳、藍よりも一回り小さな少女にボロボロの服、それが肉体を失った、『橙藍鬼』の真の姿だった。
「ヨクモ、よくもコケにしてくれたな、よくもせっかく得た肉体を台無しにしてくれたな、よくも、よくも俺様の色災をメチャクチャにしてくれたな!!」
目は血走り、その姿はまさに鬼の形相そのもの。だが翠は、色使いたちはひるむことなく身構える。
「全員、永遠にこき使ってやる。死など生ぬるい、永遠だ、永遠に苦しみを与えてやる!」

呪詛を浴びせ続ける橙藍鬼に、色使いは怯むことはない。
「もうお前の思うどおりにはならないよ」
「そうだよ! みんなメチャクチャにした分たっぷりお返しするんだから」
「街の皆の分もここでかたきを討つのね……!」
「そして、これ以上街の皆を傷つけないためにも!」
「これ以上、あなたのワガママに振り回されないためにも……!」

色災しきさい』を止める。その思いが今一つになった瞬間だった。


・色使い、集結
「くそっ、たかがガキで未熟な集まりと侮ったか」
翠の攻撃を始め、様々な色が橙藍鬼を襲う。紫の色が思考を自滅へ導く。そして食い殺すかのような意思を秘めた黒色の乱れ弾が、赤色の加護をもって激しく打ち据えていく。
「ここから逃さない」
「逃さないよ!」
「きっちりとどめを刺しておしまいにするのーね!」
「すごい……」
藍は色使いたちの戦いを見てただただ呆然とする。彼女が知っている色使いは、こんなに団結してなく、仲間も少なかった。それが今、橙藍鬼の討伐という一つの目標に向かって進んでいる。
「これなら勝てる……かも!」
「かもじゃなくて、勝てるわ!」

紫亜が更に色を強め、第二射を仕掛けた。
「舐めるなぁ!」
だが橙藍鬼も攻撃をただ受け続けるばかりではなかった。色をかわした鬼は、そのまま底冷えするような濃い青色を紫亜に吹き付けた。
「きゃっ!」
真っ青な色の吹雪はあっという間に紫亜を飲み込む。そして色が晴れた先に残っていたのは、青色の結晶に覆われ、身動き一つ取れなくなった紫亜の姿。
「紫亜!」
「あぶないのーね!」
藍は慌てて紫亜に近づこうとするが、慌てて城奈が彼女の体を押し倒す。射線上には赤い線、城奈の足を塗りつぶしたラインは徐々に少女の足を侵食していく。
「あ、あぁ……」
「ハハハ!足を引っ張るだけの無能な色使いにはお似合いだ。このまま青の色使いは眷属にでもしてやろうかな」
青の結晶の中、紫愛の体がかすかに青く発光している。動けないながらも必死に戦っているのだろう。
「……」
「無能じゃ、ないのーね。藍ちゃんは、頼りになる存在なのね。頭だっていいし、機転も効かせてくれる――」
「じゃあ効かせてみな!」
城奈に向けて赤い線条が飛ぶ。その色を黒色の塊がかき消す。
「チッ」
「セーフ」
「藍、今やれることをやりなさい! 紫亜はちょっとやそっとじゃやられる奴じゃないんだから」
「……うんっ、ありがとう真琴ちゃん」
次の一撃が来る前に城奈を引っ張り、物陰に隠れる藍。そのまま橙の色をあて、城奈の生命力を活性化させ、色の傷を癒やす。その間にも色使いの攻撃は激化しつつあった。
「くそっ、色の傷が重い。肉体さえあれば!」
受肉した完全体ならともかく、むき出しの生命である色鬼の体は色へのダメージに弱い。その事実を色使いたちも学びつつあった。
「すーちゃん、がんば!」
「うん」
徐々に劣勢に追い込まれていく橙藍鬼。だが、まだこの鬼にも手は残っていた。
「かくなる上は…撤退だ!」
そう言うや、橙藍鬼は霧になって一直線に手術室を駆け回る。
「あっ、ずるい!」
「ははは! 流石に追いつけないだろ……な、なんだ? 出られない?」
霧になった体で逃走経路を見つけた橙藍鬼だが、何故かそこから出られない。まるでカゴの中に閉じ込められたように出ようとした瞬間、見えない壁に阻まれる。

「ざまーみろ! 作戦大成功だぜ!」
手術室になだれ込んでくる子供と大人達。その先陣を切ったのは健児だった。


・色の牢獄で語られる言葉

「色淵結界、まさかこのような形で使うことになろうとはな。各々方、無事か!」
「刑部さん!? 結界って、確かに壁っぽいのがうっすら見えるけど……」
真琴が壁を触ると、反発力とともに明色が返ってくる。
「そうだぜ、この結界は生命力に反応して道を塞いでくれるってよ。渋ってたけどバッチリじゃね―か」
「何を自慢げに言ってるんだ小僧、わしらも出られないんだぞ」
「まぁまぁ、数ではもうこっちのほうが勝ってるしなんとかなるでよ」
一緒になだれ込んだ大人達も、橙藍鬼を逃すまいと構えを見せる。

「く、ぐぬぬ……」
援軍によって窮地に立たされる形になったのは橙藍鬼だった。
「さぁ大人しく退治されなさい!」
「これで色災もおわり」
「ついでにサン君と紫亜も元に戻すのーね!」
それぞれが言葉を並べる中、実体化した橙藍鬼は表情を曇らせた。

「……お前たち、それでいいのか?」
「え?」
思わぬ言葉に、場が静まり返った。
「お前たちは、騙されてるんだぞ? あの、白い色鬼に」
「どういうこと?」
「きっと出任せよ。とどめを刺してしまいましょう」
「じゃあなんで生命力を縛る結界なんてものを人間が張れるんだ?」
橙藍鬼の言葉に、真琴が口ごもる
「そ、それは……」
紫亜がいれば理由を説明してくれるのに。そう思っても紫亜は氷の中。さらに近くには橙藍鬼がいる以上、すぐに治そうにも治せない。
「俺様はこの街に来た瞬間わかった。この街は人を、色を縛っていいようにしている。まるで牧場のような街だってな。だから攻めやすかった」
「まさか……」
城奈が困惑する。
「すぐに消える記憶に出戻りする人々。おまけにイロクイをいいように解釈して共存させようとする。人間が餌になることを織り込みつつ、一方で色使いを使ってイロクイを増やしすぎないようにしている。そんな結界の中で生きてて満足か?」
「……良くないわね、確かに」
真琴がつぶやく
「なら、こんな結界を壊そうぜ。色災は一旦なしにしてさ、共同戦線だ、どうだ?」
「確かに一理ある。けどね、あんたのようなやつの言葉を真に受けるほど人間は馬鹿じゃないわよ!!」
渾身の思いと言わんばかりに真琴が紫の色を橙藍鬼に放つ。
「じゃああの色鬼の家畜でいいってことか」
「違う」
翠が前に歩み寄り、きらりを守る立ち位置を取る。
「私達にもわからない。けど、調子が良すぎるあんたよりは話ができるよ。零無は」
「……ハハハ、ハハハハ! アハハハッハ!!! じゃあいいや」
そう言うと、橙藍鬼は自らの身体を縮めて濃い色をさらに濃くしていく。
「どうせ逃げられないんだ、このまま自爆してお前らごとメチャクチャに塗りつぶしてやる」


・カウントダウン、それぞれの選択
周囲の色を吸い取って徐々に威力を上げていく橙藍鬼。
「きらり、あれできる?」
「あれって、ええと、色合わせ」
「うん」
「うまくできるかわからないけど、なんとかなる、よね!」
翠は首を縦に振る、体は震え、強がりなのはわかっていても『こんな奴に負けたくない』という思いが、翠を突き動かしていた。

翠の手を握るきらり、握り返す翠。意識を集中させ、色を合わせる。
「まだ、まだ……」
半端な威力では飲み込まれてしまう。かといって力が強すぎれば何が起こるかわからない。
「真琴ちゃん……」
「色合わせ、何が起こるかわからない以上下手に触らないほうがいいわね――藍、見て」
真琴が指をさした先にあるのは、紫亜が閉じ込められた結晶。自爆準備のために橙藍鬼は目を離していた。
「ごめん城奈ちゃん、少し我慢しててね」
「大丈夫なのね」
城奈の言葉に見送られるように2人はこっそりと紫亜に近づく。

「な、なんか緊張してきたぞ。俺もなにか……なんだこれ?」
足元にぶつかった橙の塊。床に広がったスライム状のそれは健児の足に絡みつく。
「~~~っ!?」
大きな声を出したらまずいと本能的に悟った健児は、声を押し殺しながら剥がそうとする。
「(くそっ、こんなとき…使ってみるか? やばくないよな?)」
健児は深呼吸し、自分の色を引き出す。苦痛を生じさせながら生み出した色――緑はスライムを徐々にまとわりつかせ、浸透させていく。それともに、徐々に人の形を取っていく。学校で見覚えのある、その姿。
「マジかよ、サンだったのかよこれ」
うまくいくかは分からないが、とにかくやるしかない。健児は今やれる精一杯の色をスライムに与え続けた。
「ケン、くん……」
「わかった、もう少し待っててくれよ」
徐々に人の形を取り戻しつつあるサンを、健児はなんとか治そうと賢明に色を注ぎ続けた。

一方その頃、真琴と藍は紫亜の前までたどり着いていた。近くには橙藍鬼が自爆体制を取っており、紫亜は無視されるような形になっていた。
「それじゃぁ……いきます」
「ファイト、まずくなったら私が守るから」
藍が橙色を手から発し、氷に当てていく。しばらくすると橙色は氷全体を覆い、溶かそうとし始める。
「……」
だが、それ以上うまくいかない。氷が割れるどころか溶けないのだ。
「(このまま眷属にしてやろう)」
橙藍鬼の言葉が藍を震え上がらせる。このまま失敗したら紫亜は……。
「ううん、そんなことは、させない!」
力を込め、さらに色を強める。うまくいくかどうかではない。うまく行かせるために。必死に耐える。それは紫亜もまた同じだった。
「(藍……がんばって)」
紫亜は薄れゆく意識を手放さないよう、藍を氷の中で応援する。
互いの思いが応えるように氷が少しずつ、音を立てて壊れ始め、そして……真っ二つに割れた。
「紫亜!」
藍が倒れそうになっている紫亜を抱きとめ、安堵する。それは自分の力が役に立たないものではなかったという証明でもあった。


・終わりを飾る重ね色
「もうちょっと? もう、結構苦しいかも……」
「もう少し、もう少し……」
そして、翠ときらりは必死に色をコントロールしつつ耐えていた。暴走のリスクがありえるこの技を進んで使うものはきっといないだろう。だが、今だからこそ使うしか無い。そんな翠の思いにきらりは応えようとした。
だが、それより早く発したのは、橙藍鬼だった。
「これでいい、これで……!」
「すーちゃん!」
「翠ちゃん!」
きらりが叫ぶ、城奈が目を瞑る。
「行くよ」
「いっていいよね!」
「うん、これで――」
「これで――最後!!!」
2人が手をかざす。撃鉄から放たれた白と黒の大波は、橙藍鬼を飲み込む。
「ぐっ、うううっ!?」
力を打ち消し、飲み込まんとする一撃は、橙藍鬼の精神体を削っていく。
「こ、こんなはずが。俺様が、人間の、ガキに……!」
均衡していた力は徐々に上回り、橙藍鬼を飲み込んでいく。
「認めねぇ、認めねぇぞ、俺は――」
その言葉を最後に、力の均衡は崩壊した。天井に打ち付けられる白と黒の波は徐々に結界を食い破り、そして天井に大穴を開けて彼方へと消えていった。

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